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 一章 やまぬ夜 [ きみのたたかいのうた ]

 帰り着いた家で、洗濯物は荒く取り込まれ、山となって床に積み上げてあった。
 噛み跡が残るシャツ。床に残された複数の足跡から、カカシが忍犬に頼んだのだと知れた。
 その光景に、思わずナルトはしゃがみこんだ。
 ほっとしたのが半分、言ってくれれば心配せずに済んだのに、という怒りが半分。ない交ぜになったため息をつく。吐息の音が思いのほか大きく響いた。
「あー……マジあの人ってば性格わりぃー……」
 がしがしと頭を掻く。濡れた髪からぽたぽたと雫が垂れた。服もぐっしょり濡れてしまっている。もうこのまま風呂に入ろう、と決めてナルトは立ち上がった。
 濡れた服を洗濯機に突っ込み、手早くシャワーを浴びる。
 熱い湯を頭から被りながら、風呂場の窓へ視線をやる。
 夕立はざあと里を濡らし、立ち去ったようであった。

 涼んだ風が窓から流れ込む。
 夜に沈んだ山の端から、満月が昇り始めている。
 茹でたうどんにだし汁を絡め、ナルトは勢いよく頬張った。カカシの分は帰ってから茹でるつもりで台所に出してある。
「センセーまだかな……」
 夕飯がいらないなら連絡してくれればいいのに、とナルトはぶすくれた。
 静まり返った家の中に一人いると、余計なことばかり考えてしまう。
 熱いシャワーを浴びて頭を切り替えたはずなのに、思考は暗い方向へと流れてゆく。静けさが嫌で点けたテレビの音さえ煩わしい。
 カカシはまだ帰らない。
 上忍待機所で誰かと話し込んでいるのか、それとも綱手に捕まったのか。



 ゆらり。
 月がぶれたように思えた。
 うどんを啜る手を止めて、ナルトは窓へ身を乗り出した。
 泳ぐ雲も月には掛からず、遮るものはない。いつもと変わらぬ夜。
 見間違いだったのか、と息をついた刹那、ゆる、と漣にかき乱されたように月が滲んだ。
 りぃ、りぃと鳴いていた虫の声が遠い。
 里の喧騒が、消えている。

 ざあ。あ。

 テレビから流れる他愛もない声に、ノイズが混じった。
 辺りを呑み込む空気がざらついている。
 頭の中で警報が鳴った。
「……何?」
 呟いた声が耳に届かない。
 耳障りな、────静寂。

 気付けば異様な気配がその場に横たわっていた。
 冷たさがぞっと背筋を這う。
 ナルトは椅子を蹴って立ち上がった。
 術だろうか。迂闊だった。唇を噛み締め、神経を研ぎ澄ます。
 気配を探ろうにも、絡みつくねっとりとした空気に邪魔をされ、届かない。

 ざあ、ざあああああ。

 脳内を侵食するかのようなノイズ音が酷くなる。
 頭の中で直接鳴らされているような不快感。
 ぐるりぐるりと脳みそが撹拌されているようだ。
「ぐ、」
 ナルトは小さくうめいた。
「──────」
 微かに人の声が聞こえた気がした。
 洗面所の方からだ。
 咄嗟に迷い、だが乱される意識の端で確かめねばと思った。導かれるようにナルトは洗面所へ向かう。
 電気を点けない部屋は暗く、鏡は黒い水面のように凪いでいた。
 リビングの明かりが僅かに差し込む部屋の中で、水面がとぷり、と波立つ。
「……誰だ!」
 クナイは忍具入れの中、着替えた時に置いたままである。丸腰の手元が心もとない。うかうかと誘い込まれてしまったのだろうか。
 ノイズに揺らされる思考を掻き集め、ナルトは鏡を睨みつけた。
 深い黒に、円が浮かび上がった。
 こがねに輝く環は、忘れようもないもので。
「なんで────」
 光が眼を刺し貫き、痛みに咄嗟に両腕で庇う。
 ぐらりと歪んだ。
 鏡が近い。腕の影からナルトは見た。
 たぷり、と揺れた黒がぐわと襲い掛かってくる。
 鏡がナルトを飲み込むのか、ナルトが鏡に吸い込まれるのか、ふと。
 そして意識は闇に飲み込まれていった。


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